ynozaki2024の日記

私的回想:川口大三郎の死と早稲田解放闘争

『全共闘晩期』1 はじめに

 樋田毅著『彼は早稲田で死んだー大学構内リンチ殺人事件の永遠』が202111月に上梓され、202211月の川口大三郎没後50年の前後に代島治彦監督は取材を続けていた。没後50年追悼集会は2022114日に全学関係者約90人で、118日には文学部関係者約30人で執り行われた。ドキュメンタリー映画『ゲバルトの杜ー彼は早稲田で死んだ』は程なく完成していたようだがコロナ禍の影響で上映がのびのびとなり、20245月から一般上映され初め、10月位まで、この種の映画としては比較的ロングランの記録を出したようだ。その上で直ちに映画批判の声が強まり、202476日に「映画『ゲバルトの杜』徹底批判シンポジウム」が開催された。その取りまとめと関連論文集:絓秀実・花咲誠之輔編著『全共闘晩期ー川口大三郎事件からSEALDs以後』が早くも20241210日に出版された。

 こうして見ると、書物・映画、それへの批判的書物がちょうど3年間で連続して世に出ており、或る意味で一巡りしていると言えよう。一冊の出版に映画と批評書が連続して出ており、こう云う事は珍しい事ではないかと思う。早稲田解放闘争は50年を経ても時代にインパクトを与え、多方面の分野にポジ的であれネガ的であれ末広がり的に足跡を残している。そしてその三つのイベントに全て私は顔を出した。執筆中の樋田君に会った事もあり、情報提供やアドバイスをしたこともあったからだ。もちろん、その著作そのものには私は色々な意味で批判的であり、それをもとにしたドキュメンタリー映画にも別の意味で意見があり、それらは種々の形で表明して来た。それ故に、最後の『全共闘晩期』にも感想を述べる事は私の責務でもある。幸に、「週刊読書人』(2024524日号)、雑誌『情況』(2024年、春号・夏号)と今回のこの書物によって世代と立場を超えた多くの発話者に恵まれ、考察すべき論点や疑問点はほぼ出尽くしている。それだけに全ての早稲田解放闘争に関わった当事者はこの豊かな議論の幅から学べるものは多い。できればそれぞれでまずは過去と今の自分に対して応答し、言葉に残す努力をお勧めしたい。

 

 さて、語るべき問題は多岐にわたる。まず事件そのもの、どのように彼は死を迎えたのか、それは何故か、それは大学や時代にとって、学友にとって何だったのか。そこから発生した次の事件、早稲田解放闘争はどう出発したのか、それは何故か、どう展開したか、どう終焉したか、それをどう見るか。

 そこから抽出された問題も多様で、あの時代の党派政治的テロとは何か、大学管理支配の構造的暴力とは何か、暴力反対とは何の謂か、対抗武装に理はあるか。学生自治会を巡って全共闘運動はどのようにオーバーラップしていたのか、その是非はどうか。事件がその後の早稲田大学や現代の政治空間にまでどのような影響を残したか。それらを描いた『彼は早稲田で死んだ』・『ゲバルトの杜』は言説や表現としてどう評価されるべきか、すべきではないか。村上春樹中島梓を初め登場している文化人ほか、文学や政治思想に事件はどのようなインパクトを残したか、戦後社会運動史上ではどのような位置付けになるのか、ならないのか。世代による受け留めはどのように異なるのか、SEALDsにまで話は及んでいるぞ(歩道の冊が決壊して道路全面に民衆が溢れた晩、私も最前線にいた。)アメリカの新左翼と来るなら、映画『いちご白書をもう一度』を探して見なきゃ。ベトナム戦争? そう言えば相模原戦車闘争、毎晩座り込んだ、下宿がそこで。早稲田の革マルに見つかって下宿まで見にこられた、スパイじゃないかと。川口君の死の3ヶ月前の事だった。その記録映画『戦車闘争』に私も取材を受けて出ている。

 ちょっと書いただけで溜め息が出る。それぞれに思いはあるが、これらは全ては到底私の守備範囲ではないし、普遍的課題には誰もが思いや意見はあるだろう。差し当たって、私は当事者の一人として、事件そのもの、自治会再建運動、暴力反対と自衛武装、樋田本への批評、映画への批評あたりについて、この『全共闘晩期』と対話を試みながら物語る事にする。