2024-06-01から1ヶ月間の記事一覧
この本は2020年10月の本田延嘉氏「追悼の集い」での発言他を集めて出版されたものである。本田氏は革共同書記長で中核派の最高指導者だったが、1975年3月14日に革マル派に襲われて虐殺された。亀田君は筋金入りのアナキストだが、なぜかそこに呼ばれてスピー…
この著作は川口君事件を境に「内ゲバ」のレベルが変わったという視点から、それ以前を前史として上巻でまとめ、それ以降を下巻にまとめている。 「内ゲバ史の上で、川口君事件のもつ意味はきわめて大きい。この事件とそれによってもたらされた"早大戦争"の過…
この本は文庫本が2021年9月段階で第35刷と長期にわたるロングセラーである。今はもっと増刷されているかも知れない。つまり「内ゲバ」に関する基本文献であり、且つその事象を今日においても規定しているオーソリティを維持している。そうでありながら、この…
藤野君の文章の中では、「非暴力は無抵抗ではない。非暴力による抵抗である。」「わたくしは、ますます非暴力の意志を強くした。」(p176)と、自己の立場は非暴力であると強調している。そうした場合、政治党派が自己の「正義を振りかざして暴力を肯定する…
この論考で重要な事実が挙げられている。前回も書いたように、それは藤野君が1年生の頃からこのクラスで狭山差別裁判反対闘争に学友を誘った事である。それが川口君の死に対する藤野君の悔恨になっている。 「Jクラスでも、部落解放運動や狭山闘争について学…
本文40ページ、註2ページ、約4万8千字の長いものである。川口君と同じクラスの藤野君が代島監督の取材を受けた後に、半世紀後にようやくまとめた総括であると言う。見出しは以下の通り。 1 1972年11月8日:3ページ 2 戦後民主主義が生み出した「革命と暴力…
こう云うのもあるよと亀田博君が教えてくれたので早速読んだ。亀田君は『映画芸術』においてこの映画を論じた鼎談の参加者の一人である。 藤野君は川口大三郎君のクラス2Jの一人だった。代島監督のこの映画にも取材を受けて、かなり重要な発言をしている。こ…
私の中国語クラス2Tは1972年の革マル派の早稲田祭に、実はクラスとして参加した。それは私が言い出して皆に協力してもらって実施したものだ。 革マル派の早稲田祭実行委員会に、何をやるのか企画書を出し、幸に通過したのだ。教室を一つ与えられた。31号館三…
このドキュメンタリー映画に私は出ている。出演者名簿の二行目の真ん中に私の名前が掲載されている。映画をご覧になった方も多いだろう。なぜ出ているかと言うと、早稲田の学生であった私は、JR相模原駅前のアパートに下宿していたからだ。通学に片道3時間ほ…
「X団顛末記」において示したように、1973.5.27に私は一文自治会・一文行動委連名のビラに以下のように書いた。キャンパス周辺ではビラまきすら襲われるようになったので、このビラは早慶戦の神宮球場前で配った。 『5月18日の事態について。まず基本的に我…
私は「X団顛末記」において、全学行動委員会・全学団交実行委員会は自治会再建を目標としていなかった事を示した。映画でもその頭目である臼田健一氏は「たとえば自治会を作って、再建していくっていうか、革マルを追放していくっていう運動はあってもいいと…
よく比較するともう一つ書き足しがあった。樋田君の本に対する評価のところだ。 「しかし、書かれた内容に関しては何か違和感が残る。『非暴力』『寛容・不寛容』など当時の状況を無視したキーフレーズで自らの体験を『上書き』すればするほど、フィクション…
冊子版と雑誌版の相違について述べた。細かい字句の修正は良いし、筆者がバイト先でこの事件のニュースを聞いた長い話が全部カットされているのは当然だろう。236ページ下段の最後の二行「当時の状況をまとめようとすると、フラッシュバックに息苦しささえ覚…
『情況』誌のこの「読者投稿」は重要な一次資料として扱われている。樋田君の本の『彼は早稲田で死んだ』と云うタイトルに反発して「早稲田に殺された」のだ、との主張もこれに依拠したりしている。私もそう思っている。だが、『彼は早稲田で死んだ』と云う…
この書評は「読後感」とも当該ページにはある。二つの本の読後感をまとめて著者が書いていて「綴られた記憶と追悼」というタイトルはその両方の本にかかっている。一つが『彼は早稲田で死んだ』であり今ひとつは加藤登紀子著『哲さんの声が聞こえるー中村哲…
映画の受け止めは一つ一つ違うだろうから、丁寧に見ておきたい。 映画の最後の場面で、短編劇がまた挿入され、「息絶える川口君の姿に被せ、実行犯の佐竹実の自己批判書全文の朗読音声が長々と流れる。」ここを、水谷保孝氏はまず取り上げて批判している。そ…
なかなか「内ゲバ」の定義まで辿り着かない。考察を続ける。 一般論として、広義には「暴力を伴った内部抗争」である。反社会的組織に多い。 特殊な例だが、民主化運動の影響でネパール王政が崩壊する寸前に「王宮大虐殺事件」が起きた。長男の王子が父親の…
四方田犬彦氏のこのエッセイの重要性は、その前半部分にある。それは「内ゲバの時代を生きた者」としての述懐だからだ。『歳月の鉛』(工作舎)に描かれた時代の点描になっている。1972年に東大入学以来、その夏頃、1974年1月頃、1976年と続け様に身近に内ゲ…
皆さんも読んだであろうから、この批評文の要約はしない。 「認識のズレ」について考えた。最後の方の結論部分だ。 「人は同じ時期と空間を生きていても、世界を見つめる視座が違うとかくも異なった認識を抱いてしまうものなのか。この事実に私は呆然とした…