ynozaki2024の日記

私的回想:川口大三郎の死と早稲田解放闘争

遥かなる「内ゲバの定義」:もしくは「一文新自治会承認、社会科学部・商学部は革マル派自治会継続」の棲み分け合意について。

 なかなか「内ゲバ」の定義まで辿り着かない。考察を続ける。

 

 一般論として、広義には「暴力を伴った内部抗争」である。反社会的組織に多い。

 特殊な例だが、民主化運動の影響でネパール王政が崩壊する寸前に「王宮大虐殺事件」が起きた。長男の王子が父親の王や母親の王妃ほか親族を王宮で自動小銃を使って大量射殺した。当時、私は(社)日本ネパール協会理事を務めていたが、現地滞在も長く人脈も広いと云う事で、理事会の要請によりこの調査報告書を執筆した。分厚いものになったが、調査を進めていくと驚くべき内実が分かった。詳細は省くが、長男とおぼしき人物は別人の暗殺者だった。長男本人は酒と薬を飲まされて酩酊状態で別の場所にいたのだ。背後に誰かが居た。それが王の弟のギャネンドラ殿下だった。その後、直ちに王になった。そしてこの王が最後の王となり王政は崩壊した。国民の支持を失ったからだ。

 「暴力を伴った内部抗争」には背後に誰かが居る。それが王宮大虐殺事件を調べた私の基本的スタンスだ。

 狭義にはもちろん、四方田犬彦氏が書いているように、1960年代から1970年代以降にかけて起きた、新左翼同士の殺し合い、となる。それが一般的に流布された意味合いとして定着しているのは間違いない。実際は組織分裂した状況的理由や対立党派との違いや歴史的経緯があるのだが、「仲間同士の殺し合い」で恫喝すれば、庶民向けには十分なのであろう。

 私が一番危惧しているのは、今回の樋田君の本や代島監督の映画でそのイメージが「やっぱり暴力はいけないよねえ、怖いよねえ」と国民の間に更に刷り込まれる事だ。上映後の観客の感想などを散見すると、どうやらそれが多い。国民の心理的武装解除作戦である。樋田君の高校生徒会長レベルの暴力反対論は見事に今再利用されていると言っていい。代島監督の心からの願いである、若者の政治参加、そのための内ゲバという恐怖・恐れの解消は、実際問題として逆効果に持ち込まれているかも知れないのだ。

 私はそれは権力側が作り上げた政治的イメージであり、左翼を国民から分断する高度な公安心理作戦の一部だと理解している。それには資金も人材(スパイ)も新左翼に投入し、大学他にも介入して大規模に操作したと思っている。革マル派を利用して拍車をかけたと理解している。革マル派の動きは全てそれに合致していたし、警察権力はあらゆる党派から常に革マル派だけを守った。

 事件直後に数ヶ月ほど茫然自失としていた革マル派が、1973年4月以降、あれほど活発に復活した理由はそれだと思う。私たちに対する弾圧の手法や技術は全く公安のそれであって、私達のデモ隊の写真は大量に撮られアルバムを作っていた。主だったものは尾行され住居を確認した。私のところにも脅迫の文字が書かれた。私たちの革マル派追放運動が開始されると、スロープを恒常的に監視するためにその脇の101教室を勝手に占拠して監視拠点としていた。私のクラスが基礎演習で使っていたから、教員が困ったのを覚えている(私の学年で基礎演習が始まり、そのために私たちのそれは2年生からだった)。そもそも新入生のクラス単位の集合写真を撮影したのは革マル派であって、無料でくれたが、それは名前と顔を管理するためだ。ピンボケの川口君のクラス写真が映画で紹介されているが、あれがそうだ。

 荒唐無稽ではない。1960年の安保反対闘争の際、全学連に右派から資金が投入されていたのは後になって実証されている。対米自立に傾きかけた岸内閣を倒すのが目的だったと言われている。結果は見事にそうなっていて、岸は辞任し今の日米安保条約日米地位協定体制が確立されている。それくらいの事は米国他にとっては朝飯前で世界中でやっている。現代でも、安倍晋三の暗殺も同じパターンだと理解するほかないほど、証拠が露呈している。

 さて、広義の意味でも狭義の意味でもないのが、どうやら「内ゲバ」の真相のようだ。そこをうまく彫琢して概念をスッキリさせると、あの自治会再建運動と内ゲバの関係が見えて来る。川口君の死も、そこから再解釈できる。先に書いた第一期の内ゲバ時代と第二期の内ゲバ時代の狭間が、私達の早稲田解放闘争(第三次早大闘争とは私は呼ばない)に当たる。

 話が内ゲバの定義から飛ぶが、その狭間においても、1973年5月7日までを前期、それ以降を仮に後期と私は考える。5月8日に全学団交実行委員会が勝手に総長拉致団交をやった。その日を境に状況は一変した。それまでは「第一文学部新自治会公認、本部の社会科学部と商学部革マル派自治会を残す。教育学部政経学部は状況次第。」と云うバーター合意が大学当局と革マル派の間にあったと推測できる(7日の記者会見で、学生担当理事は一文新自治会だけ条件が整っており「新自治会と呼び交渉する」と発言。これは奇妙な発言で、条件が整っていたのは政経学部教育学部の方が先行していた。「X団顛末記」参照。)。それが私の歴史認識である。その合意を崩壊させたのが総長拉致団交だった。理由は明らかで、4月4日の私たちの会議への襲撃では、行動委員会メンバーはやられたが樋田君ほか新自治会幹部は鉄パイプで殴られなかった。しかし、総長拉致団交の6日後の5月14日には樋田君は個別テロで重傷を負わされ、総長団交予定日5月17日には私が指揮していた文学部の300人もの無防備のデモ隊が、大隈銅像わきで革マル派鉄パイプ部隊に襲撃されたのだ。

 

 今、内ゲバの定義を模索していて、政治的暴力とは何かを考えている。どういう要因が重なるとそれが露わになるのか。総長拉致団交で大学が行動委員会を含めて私たちの方へ妥協し始めたと革マル派は危惧し、上記の「合意」が崩されたと判断し、その「約束」を守らせようと全面武力制圧に踏み切ったのではないか。この政治的場面で武力で相手を組み敷こうとする論理が「ゲバルトの論理」である(私的な個人や家族間の暴力ではない)。本質はそこにあって、それを「内」とわざわざ呼ぶのは、愚かな内部抗争というフレームアップに過ぎない。

 さすれば、ここで私たちは「内ゲバ」の定義を放棄した方が良さそうだ。「社会変革運動におけるゲバルトの論理」とその是非をこそ考えねばならない。学生自治会そのものの有権者であり支持母体である学生を、自治会がリンチしたりテロるという錯誤はなぜ起きたのか。もともと革マル派が最も脅迫し恫喝し金銭を得ていたのは大学当局であり、有権者学生は二の次になったのが1970年代という時代であった、と理解するほかはない。そのための巧妙な自治委員選挙を彼らはやっていた。川口君殺害後に革マル派が一貫して交渉していたのは大学当局であり理事会はそれを度々口にしたが、我々新自治会には一度もそうした裏交渉すら来なかったのである。

 代島監督の映画とこうした細かいことがどうして重なるのか、映画だけを見れば分からないだろう。なぜなら、こうした自治会再建運動の細目はほぼ割愛されているからだ。当初の編集で4時間映画だったと言う。無理もない。

 しかしこの自治会再建運動抜きにしてその後の内ゲバ激化は語れないのだ。少なくとも第一文学部の自治会再建は、5月中に新入生を含めた自治委員選挙を本部キャンパスでいいから実施できていたら、ほぼ達成という際どいところまで行っていた。それができなかったのは、委員長の樋田君の小児じみた暴力反対原理主義と、諸党派や全学団交実行委員会の暴走であった。もし、上記のバーター合意であれ一旦落ち着いていれば、多少その後も大学内勢力争いで揉めたとしても、あのように学外での、全国規模での全面的な党派戦争には一気に突入してなかっただろう。

 これが、全ての資料を、読みにくいビラの一言一句をも逃さず検討した私の結論である。異論があるなら、同様にあの膨大な「一文アーカイブ」や「川口大三郎君追悼資料室」(瀬戸宏君管理。立ち位置は異なるが、かつてのクラスメートのこの努力にも深甚なる感謝を表明したい。)の全てを読み込んでからにしてもらいたい。

 

 勢いで本質論議にまで入ったが、内ゲバの定義はまだまだ遥かな先になりそうである。まあ、言葉にするのはまだ難しいが、重要な論点は展開したつもりだ。人の心や倫理の問題よりも、組織や政治状況の方に責任がある。