ynozaki2024の日記

私的回想:川口大三郎の死と早稲田解放闘争

続:四方田犬彦「触れれば血が噴き出すような傷」から。もしくは、内ゲバの時代考証。

 四方田犬彦氏のこのエッセイの重要性は、その前半部分にある。それは「内ゲバの時代を生きた者」としての述懐だからだ。『歳月の鉛』(工作舎)に描かれた時代の点描になっている。1972年に東大入学以来、その夏頃、1974年1月頃、1976年と続け様に身近に内ゲバ死を体験している。この辺り、内田樹氏や石田英敬氏とやや重なっている。『歳月の鉛』の読者層は限られていたであろうが、全国紙でこれだけ読者に知らされた。また、直接の当事者ではなく近在の友人他が犠牲になった話は、当時の同世代の人々や現代でまったく「内ゲバの時代」を知らない世代へのインパクトは大きい。

 特に、四方田犬彦氏はそれを意識してか、その定義をはっきり書いている。「70年代に新左翼セクトうしの間で生じた(そして現在も終わっているわけではない)「内ゲバ」、つまり党派間暴力による凄惨な殺し合いのこと」と。

 厳密には1969年7月に始まり、1980年代後半まで記録は残っている(「ゲバルトの杜」映画パンプより)。新左翼党派どうしとも限らない。芝浦工大では反戦連合というノンセクト・グループが1969年9月に中核派を、琉球大学では共産党系民青が1971年に6月革マル派を殺害している。セクトどうしでもないのが最初の記録で、それは社学同うしの内部抗争で中央大学で起きた。これだけでも内ゲバの定義はなかなか難しいのが分かる。しかもこれは抗争で死者が出た場合の話である。自殺者や重軽傷者が出た事件は無数にあった。

 ドイツ語Gewaltの意味は、1:権力、権限、支配力、制御力、2:暴力、暴行、強烈な力、強制、3:自然の猛威、激しさ、威力、とあり(『アクセス独和辞典第四版』三修社、2021年)、事実や歴史にゲバルトをかければ「歪曲する」となる。

 昭和の初期に陸軍エリート内で統制派と皇道派の抗争があり、現実に刺殺事件まで起きている。これは政治的テロと云う意味になる。日本共産党の歴史においても同様の死者は出ている。暴力団うしの抗争やその内部での殺し合いも数えきれない。表に出てないだけで、企業社会でも内部抗争はあり、カルト宗派や官僚機構や政党の中でも起きている。限定しなければ、日本社会の至る所で、知られざる死者を含めて内ゲバ現象は起きている。

 それが新左翼のそれに使われ始めたのは、機動隊への実力行使を当初はゲバルトと呼んだからであり、それが権力側へではなく内部へ向かったから「内ゲバ」となった。その特徴は、場としての政治活動、党派間の主導権争い、正統性を巡る組織の分裂と敵対、集団としての武力行使から殺害を目的とするテロ行為まで、偶発的衝突から計画的襲撃まで、闘う男達と云う極端なジェンダーバイアスなどであろうか。ただしこれらは権力やマスコミサイドが意図的に構築したイメージである。

 76人の死者が出ている1969年から1989年までの20年間に限って言えば、新左翼党派間の対立やその分裂が主なるもので、偶発的・集団的、から計画的・ピンポイント・テロ的へと推移している。体験の層としては、党派間の当事者、その周辺の擬似体験者、当該の場における関与者と傍観者、当該の場から離れた同時代者などに分けられよう。四方田犬彦氏は当該の場における関与者・傍観者であり、早稲田解放闘争の私たちは、周辺の疑似体験者及び当該の場における関与者・傍観者であろう。1974年1月の個別テロ(東大の金築・清水の両名が死亡)応酬になって以降は、ほぼ社会全体が傍観者になった。内田樹氏、石田英敬氏、四方田犬彦氏の東大三人組による証言はその冒頭の時期であると云う共通項がある。

 これらの説明からほとんど離れてしまうのが、川口君虐殺事件を機に起きた早大解放闘争であった。日常的な暴力支配の前史(これは東大ほかにはない)、内ゲバではない一般学生の犠牲、擬似体験者を中心にした対抗運動、それらへ対する革マル派からの暴力支配、集団的襲撃、武器の凶悪化、個別的政治テロ。これだけが詰まった事例(学生自治会主導権を巡る一党派vs学生大衆の衝突)はこれ以外には起きてない。おそらく歴史上初で最後であろう。

 この事件以前には、連合赤軍派による仲間12人の殺害を除くと、8人の死者だった。中核派死亡3名、革マル派4名、社学同1名で、その内、リンチ殺害は中核派によるもの革マル派1名(1970年8月)、解放派によるもの革マル派1名(1972年4月)。中核派であるとの誤認であれ、革マル派による川口君殺害はリンチ事件として3人目の犠牲者だった。

 1969年の社学同による仲間殺害から、リンチが始まった「陰惨期」1972年4月までを新左翼内ゲバ第1期(3年間で死亡合計8人)とすれば、1973年9月の解放派による革マル派2名の反撃殺害以降、1988年3月までの革マル派vs中核派解放派の三つ巴の「戦争期」を第二期とできよう(15年間で死亡合計44人)。1989年6月の解放派内部抗争による死者が出て以降を第三期とする。

 川口君殺害事件は内ゲバではないので参入せず、激化する前の分水嶺期とする。それは同時に学生大衆による最初で最後の自治会奪還闘争でもあり、日本における学生運動の最後の高揚であり且つその終焉でもある。

(数字等は映画パンフによっているので不正確かも知れない。)