ynozaki2024の日記

私的回想:川口大三郎の死と早稲田解放闘争

菅孝行「腑に落ちぬ幾つかの事柄:映画評・代島治彦監督『ゲバルトの杜 彼は早稲田で死んだ』」、『情況』2024年春号。

 「その基礎訓練として信濃忍拳を三多摩の或る小学校体育館で毎週夜間行い、夏休みには静岡県伊豆市辺りの山村で信濃忍拳の合宿に参加した。この夜間訓練や夏休み合宿には「うんこ軍団」の女性たちも参加した。女性たちは腕などにアザができ、アザミという名の女性指導員に対して「このアザを見い!」などと冗談を言い合っていた。体育館での夜間訓練で評論家・劇作家の菅孝行と一緒に練習したのを覚えている。」(野崎泰志『X団顛末記』、第三章 自衛武装の諸相)

 どういう繋がりで菅孝行氏と一緒に信濃忍拳を稽古するようになったのかは知らない。後に彼の書いたもので知ったのは、右派からの直接的暴力制圧に対して無為無策であるのは恥である、と云うような状況下にあったらしい。どうやら演劇活動と政治活動は彼においては不可分のものであるらしかった。単なる負けず嫌いかも知れない。私も早稲田の劇団関係の友人どもが居て、つかこうへいの『郵便屋さんちょっと』は早稲田大学6号館の屋上の怪しげな空間で見た世代である。ちょっとした解放区だったがここも革マル派に襲われるようになった。演劇が政治的状況と不可分であった時代は、そういうものであった。鴻上尚史氏の時代はその数年後で、まさか劇団が革マル派に襲われるなど想像もつくまい。或いは、「ヘルメットをかぶった君に会いたい」(署名本が送られて来たので今読んでいる。いずれ講評する。)と云うのは、彼女に襲われてみたいと云うM趣味であるのか。祭りに遅れると云うのは哀しいものである。

 当時、劇作家としての菅孝行の演劇や著作のファンであった23歳の私としては、稽古場に突然現れた著名人に驚き、ろくな会話もできなかった。稽古後の飲み会も何度かあったが、私は緊張したままで稽古よりもしんどかった。多分、彼は私のことなど覚えていまい。

 上記の『X団顛末記』に菅孝行氏の名前を出した時、私は彼が存命なのかどうかすら知らなかった。今回、水谷保孝氏の映画批評を読もうと『情況』を手にしてみたら、何とまさに代島監督のこの映画について講評があり、かつ中核派を離脱した岩本慎三郎『党はどこへ行ったのか』への書評まであった。実は後者の方が私は興味深かった。この映画と本質的に重なることが述べられていると思う。だが今は深入りをしない。

 菅孝行氏の代島映画評はおよそ6点くらいの論点がある。先に言っておくと、その全てに私は同感である。だから書くことは何もない。半世紀前にすれ違っただけの彼が、まだ存命であって、私が関わった闘争のドキュメンタリー映画について言葉を尽くして批判している。そして論点は全て同意できる。私にとっては奇跡的な出来事だ。

 ただ歴史のために一言だけ言うと、「大学空間の構造的暴力こそが問題だったのだ」と言ったのは私であって、「『行動委員会』メンバーの大橋政明」ではない。念のためにプレスリリースの「採録シナリオ」の一言一句を調べたが、彼はそれは言ってない。だいたい、大橋は時に酒を酌み交わし、時に学会で会ったりはしたが、私の天敵である。その区別がつかない映画なのは残念である。そもそも「構造的暴力論」を展開して『X団顛末記』をまとめたのは私である。(第三章 自衛武装の諸相 4 構造的暴力論:X団の終焉」参照)代島監督からの手紙によれば、映画を見た重信房子氏が「私たちも構造的暴力に対してゲリラで闘うしかなかった」と、「野崎さんの語りに反応していたようです。」ともあった。

 菅孝行氏が映画評を締めくくった言葉はこうだ。

 「私はこの映画の作り手と、川口リンチ致死事件を読むための共通のコードを見出せなかった。」

 これはその通りで、映画は「内ゲバ検証」をメインとしていて、川口君虐殺事件はその入り口にされているに過ぎない。それはその趣旨で作られた作品なのだから、その通りと言うしかない。川口君の級友の2Jの諸君も試写会の後の飲み会で、そこは残念だと言っている。私としても、もっと内ゲバ以前の早稲田の闘いの本質を描いて欲しかった。実はそこに内ゲバを否定し超克する論理と希望が自治会再建運動の中にあったのだ、と云うのが私の年来の主張である。

 それは闘争に物理的に勝とうと負けようと思念の極致として我々が指し示し、それを松明のように掲げて闘ったのであって、我々が自衛武装までして闘ったあげく、革マル派の軍事力で駆逐されたのは事実だが、その松明は消えていないのも事実である。川口君の非業の死を語り継ぎ、二度とそんな内ゲバ的な精神構造には陥るなと彼が遺言を残したのだ、と世代を超えて伝えていく限り川口君は生きてゆく。死者と共に生きるとはそういうことだろう。