ynozaki2024の日記

私的回想:川口大三郎の死と早稲田解放闘争

対談=代島治彦・森田暁「暴力支配の時代をどう見るか」:映画『ゲバルトの杜 彼は早稲田で死んだ』公開を機に、「週間読書人」、2024年5月24日。

 週間読書人を久しぶりに買った。おそらく何十年ぶりかと思う。この中で、私が言及すべき点について幾つか書いておく。「X団」と私の名前も出て来るので、なかなかやりにくい。

 タイトルを『ゲバルトの杜』にした理由を問われて、代島監督は村上春樹の未完の中編小説から説き起こす。私はそれをまだ読んでないが、村上春樹の大学時代の、つまり早大で学園闘争が戦われていた時代のトラウマではないか、と聞いたことがある。まあ、作品は何とでも解釈されるものだから何とも言えない。

 それを元にして書き上げた『街とその不確かな壁』は読んだ。自分の「影」と対話しているのが面白い。

 私も用があって文学部界隈を歩く時、半世紀前に鉄パイプを握って革マル派と闘っていた自分の影が、スロープ辺りを走っているのを見かける事がある。無論、その時の私達のヘルメットは「X団」のグレー色だ。仲間の一人のI君が「オジさんっ! どうすんですかっ!」と切羽詰まった顔をグレーヘルメットの下から覗かせて、指揮者の私に問う。「オジさん」は「X団」における私のコードネームだった。良く見るとその顔はしわくちゃの、早大教授のI君(数年前に定年退職)になっている。「ダメだ! 退却!」と私は震える声で号令する。半世紀が過ぎても、私達の影はまだその辺を走っている。

 1973年1月、期末試験粉砕の一週間ストの日、バリケード防衛に当たっていた際に、スロープ上の手前の石の脇で私は村上春樹と立ち話をしたのだが、その石を今見ると石は頑固にそのままだ。フワッと、村上春樹の影がそこからスロープを降って歩いて行くようにも見える。

 代島監督がその未完の中編小説から「暴力の杜となった早稲田キャンパス」をどのようにイメージしたのかは分からない。川口君事件を起点にして「内ゲバエスカレートしていくまでを描きました。」と。そこは本当に「シンプルに」「ゲバルトの杜」にしたと思う。ただ私の記憶では、当初は樋田君の著作名通りの映画タイトルだった。私が取材を受けた後、つまり「X団」の物語を収録した後、今のタイトルに「変えました」と私は告げられた。無論、本部キャンパスで武闘を演じた社青同解放派の闘志の収録もしてある。しかし、代島監督の「ゲバルト」には対抗武装の「X団」のそれも含まれているのは確かなので「否定的な意味だけを持たす」(森田)ものではない。代島監督が紙面の二面において私の名前を何度も出し、「X団」にも言及しているのは、そうした森田への婉曲な反論でもあろう。

 上記の私達の影が走ったのは、1973.7.13の文学部武装中庭集会の日で、階段下のミルクホール前に一列横隊の隊形を組んだ10名の鉄パイプ武装部隊「X団」は、文学部正門前の革マル派部隊に突入寸前に苦渋の退却をし、その後も武闘訓練を続けゲリラ戦もやった。

 そこだけではないが、森田の先輩ヅラした断言調や説教調は、私には好ましいものではない。温厚な代島監督が、映画の営業もあってか、かなり耐えているのは私にも分かる。

 

 多くの者がインタビューに応じている事について、である。事件から40年ほど経った頃から、一文の私達が資料集めや調査や取材などをしてアーカイブや資料室を作って来た。「後世に伝えていきたい」というその思いが「みなさんの中に凝集していっているからこそ」と、代島監督は言っている。私もそれは書いた事がある。その上で、「その一つの結実が樋田さんの本だったといえるのだと思います。」と踏み込んだのは代島監督が初めてである。実際、アーカイブ・グループの会合に樋田君も一度顔を出しているし、それとは別に私から申し出て、菊地原君と樋田君と三人で会った事もある。無論、樋田君のライフストーリーなのだが、決起した我々という共同性は、思想信条が異なろうとどこまでも抱えて行かざるを得ないものだろう。何度も言うが樋田君はよくぞ上梓してくれたと感謝している。

 

 「構造的暴力」と云う言葉は「X団顛末記」において私が頻繁に使用した。構造的貧困とかの用語もあるので、特に造語ではない。取材を受けた時にその意味を問われて説明した事を覚えている。以来、代島監督はそれが気に入ったようで舞台挨拶とかシンポジウムなどでもフラッと口から出ている。今回も「X団」の説明の所で使っている。森田が「暴力ではなく暴力支配」だと力説しているが、確かに樋田君の頭の中にはそういう概念はないし著作にも出て来ない。しかし代島監督はそんな事はとっくに認識している。構造的暴力という私の発言は、重信房子氏も代島監督との対話の中で反応したし、菅孝行氏も映画評において記述している。そんな代島監督にほぼ同じ意味の「暴力支配」と云う言葉を、あそこまで高飛車に浴びせる必要はない。森田はスタンスの取り方を初手から間違っている。インタビューのプロである代島監督をあそこまでみくびらない方がいい。対談形式だが一面において森田は代島監督のインタビューを受けてもいるのだ。

 

 代島監督が歴史認識に言及している。まだ近い過去なので地層になっておらず「球体」であると。裏から見れば異なった風景が見える、と。だから更なる証言を積み上げていく必要があって、自分はそれに対してオープンスタンスであると。ドキュメンタリー映画監督の至言であると思った。ここで、この対談において代島監督は森田を完璧に蹴飛ばしたのだ。表層をフワフワと生きて来た活動家と、歴史の井戸の底を何度も覗いて来た表現者の違いだろう。未達成の取材を振り返りながら作品はまだ未完であり、更なる証言や実証を期待し、「いつの日か内ゲバ時代の全体像が明らかになってほしい」と代島監督は締めくくった。見事と言うほかはない。

 その他、森田の発言に特にコメントする必要は覚えない。