この著作は川口君事件を境に「内ゲバ」のレベルが変わったという視点から、それ以前を前史として上巻でまとめ、それ以降を下巻にまとめている。
「内ゲバ史の上で、川口君事件のもつ意味はきわめて大きい。この事件とそれによってもたらされた"早大戦争"の過程で、内ゲバはそれまでとは比較にならぬほどのエスカレーションをとげた。」(文庫本上巻、p257)「実際の引き金をひいたのは川口君事件である。」(上巻p258)「革マル派は本丸を確保するために、全国動員をかけ、政治的・軍事的に最大限の努力を払った。そして、壮絶な内ゲバ戦に勝ち抜いたのである。」(p257)
こういう書き出しでp272まで"早大戦争"を記述している。その中で、自治会再建運動と云う単語は一回も出て来ない。川口君が中核派シンパであったとし、初めから全て「内ゲバ」として扱っている。「革マル派は学校当局とうまくやっているので・・・追い出されることはない」(p272)と一度だけ早稲田大学に言及するが、大学と革マル派の構造的暴力という認識はなく、大学の責任を問う言葉もない。
巻末の略年表は、1973年9月21日の中核派による東京外国語大学での襲撃から始まっている。9月15日に神奈川大学で革マル派二名が返り討ちにあって解放派によって殺害された直後である。この段階で党派闘争に純化し、私たち全学の新執行部が活動停止に追い込まれたのは「X団顛末記」で記した通りである。私たちにとってはこれ以降が「党派戦争」である。その認識は中核派も同じで、水谷保孝・岸宏一著『革共同政治局の敗北ーあるいは中核派の崩壊:1975~2014』(白順社、2015年、p288)において対カクマル戦の作戦数を示した年表があるが、上記の1973年9月以降でそれは始まっている。
すなわち川口君の死を「内ゲバ死」として立花は描き、それがその後の世論における理解を再生産したと思われる。早大"戦争"と位置付け、私たちの自治会運動や闘いを一顧だにせず、「こうして早大戦争が開始されるのであるが、これには多くのセクト、ノンセクト、それに共産党や一般学生までが、深くからんでいる。・・・この複雑なからみあいを詳しく伝える余裕はない」(上巻、p265)と切り捨てたままである。
1973年1月18日に「中核派七百人の部隊が早大構内突入をこころみ」(上巻、p266)て失敗し、これ以降、中核派は近づけず「戦いは、革マル派対早大行動委(反革マル系学生の大衆組織、中核系学生も含まれる)の形で行われた。」(上巻、p267)として、中核派は敗北したとしている。そして、総長団交が拒否された5月17日、「反革マル派の学生は、機動隊に追いちらされ」「ほぼこの日をもって、革マル派の早大支配が成功したといえる。」(上巻、p272)と強引に評価して終わる。
中核派以外の党派活動には関心がないらしく、1973年6月期の解放派・叛旗派・戦旗派・WAC連合部隊による前後3回の革マル派を撃退した激闘は、6月30日のが数行で記されているだけである。
こう見てみると、代島監督の映画が川口君事件を「内ゲバ」と位置付け、自治会再建運動にはほとんど言及せず、1973年から1974年初頭までの中核派による革マル派殺害事件までで終わっているのは、立花隆のこの著作の上巻と下巻の冒頭までを描いているという事になり、「内ゲバ」の理解そのものもこれに依拠していると言わざるを得ない。
立花隆の目線はほとんど公安警察が革マル派と中核派を見るそれであり、また彼らが機関紙で繰り広げたおもしろおかしい表現(ウジ虫、青ムシ、カマ・トンカチ、ゴキブリ)を盛んに取り上げ「品の悪い」用語と言いながら、あたかもプロレスの実況中継のごとき描き方をして大衆受けを狙っており、極めて悪質である。中核派も革マル派も解放派も分裂し、今日では「内ゲバ」は収束しているにもかかわらず、この著作が古典として半世紀後の今も読み継がれている理由はそこにあるのではないか。公安や保守権力にとって極めて都合の良い、左翼運動を貶める大衆教育用の基本テキストになっている。
そして、その路線の上に樋田君の著作『彼は早稲田で死んだ』も、本人の意図は何であれ、当事者の暴力反対論として見事に接続され、文藝春秋の宣伝文句では、「ウクライナ・ガザ侵攻の今、再評価!『正義の暴力』に『非暴力で戦った』」というような文言の小さなプレート付きで文庫本は販売されている。その上、代島監督の映画も本人の希望や期待は別にあるとしても、下敷きが樋田君の著作である限り、立花ー樋田ー代島の一連のそうした反暴力キャンペーンの「キワモノ」として見られる余地は否定できないし、映画鑑賞者の感想を見ているとそれが多い。1960年代、1970年代、1980年代以降の数々の闘争をそのように繋げて見せようとする権力側の意図が見え隠れし、それを闘って来た各世代の個別の思いからすれば許せないであろう。
特に「鎮魂」という言葉は当事者性を抜きには在り得ないはずであるのに、それを全面に映画で出した事は、今もその戦争の後遺症に苦しむ双方の当事者や家族や遺族や周辺の人々の気持ちを逆撫でしている。鎮魂と暴力反対が表裏一体となって押しつけられている。早稲田解放闘争の当事者の立場から言えば、川口君の死を「内ゲバ」と括り、大学の責任を等閑に付し、自治会再建で「内ゲバ」的状況を克服しようとした万余の早大生の渾身の希望を蔑ろにするものと言わざるを得ない。
和解と赦しと安寧は双方の当事者の生涯をかける未完の魂のマターであり、多くが悔恨と懺悔を抱えて無言に生きている。私たちは川口君の死を生きているが、最大の機会であった早大解放闘争の敗北が更なる犠牲者を歴史に残したとも思っており斬鬼に耐えない。あの戦争のどの犠牲者のご遺族も、また存命中の加害者も同じようなお気持ちではないだろうか。願わくば、人々が他山の石としてこの映画を権力側の意図を見抜いた上でしっかり受け止め、また各当事者が更なる鎮魂の道を歩めることを祈りたい。 (完)