ynozaki2024の日記

私的回想:川口大三郎の死と早稲田解放闘争

近藤伸郎(編集委員)「綴られた記憶と追悼ー川口大三郎事件はまだ続いている」『情況』2022年冬号、樋田毅著『彼は早稲田で死んだ』の書評。

 この書評は「読後感」とも当該ページにはある。二つの本の読後感をまとめて著者が書いていて「綴られた記憶と追悼」というタイトルはその両方の本にかかっている。一つが『彼は早稲田で死んだ』であり今ひとつは加藤登紀子著『哲さんの声が聞こえるー中村哲医師が見たアフガンの光』だ。中村先生の本が(失礼ながら)この雑誌に出てくるとは思わなかった。私もNGO畑の出身であり中村先生は大変身近な存在で、この雑誌は、昔はともあれ今は大変遠い存在なのである。

 従って、樋田君の本への書評のタイトルが「川口大三郎事件はまだ続いている」で、加藤登紀子の本への書評のタイトルが「中村哲さんは一人の人間だった」である。

 前半は立花隆著『中核vs革マル』からの引用になっている。この本については、いずれきちんと読後感を書くつもりだ。私は「内ゲバ」批判は「立花隆批判」から始めるべきだと思っている。立花隆がこの本を書いた時は樋田君の本はないし、我々の一文アーカイブや瀬戸君の資料室もないので、自治会再建運動の当事者の声を参照する事はできなかった。

 著者は、2019年4月の早大闘争50年集会と、『彼は早稲田で死んだ』の出版記念懇親会に参加した。前者において、「革マル派が牛耳る文化祭を批判し『反早稲田祭』を掲げてしまったことが、事件につながってしまったという自責の念に今でも苛まれている」と云う関係者のスピーチを聞いた。後者において、懇親会会場で「いまだに当時のことをめぐって紛糾する場面があった」事を目撃した。

 前者の関係者のスピーチは微妙な問題を孕んでいる。当時の村井総長が川口君が「反早稲田祭」の関係者で、事件は革マル派とそのグループの間の「派閥抗争」だと最初に発言して物議を醸した。川口君のクラス2Jの仲間は否定している。しかし、この雑誌の一年後の「2023年冬号」に「川口大三郎君は早稲田に殺された」が掲載されたが、その執筆者は反早稲田祭グループであり、それをまさにそこに書いている。彼は2Jのメンバーを介して執筆を依頼され、反早稲田祭を書けばどうかとアドバイスももらったととそこに書いてある(私の手元の元原稿による)。その辺りのつながりの真相は分からない。村井総長がどういう情報を得てそう言ったのかも分からない。おそらく革マル派からだろう。革マル派としても川口君が「反早稲田祭グループ」だから尋問して死に至らしめた、とはあからさま過ぎて公には言えない。早稲田祭中止になるのは目に見えている。だから「中核派のスパイ」なる抽象的な容疑にスイッチしたのか、と云う疑惑も残る。しかし上記のスピーチをした者が苛まれているのは、反早稲田祭と事件との関連性を彼が引き受けているからなのは確かだ。川口君の反早稲田祭グループとの関係が直接的なのか間接的なのか、この辺り、闇のままである。

 次に出版記念会での「紛糾」。私は出てないので聞いた話では二つあって、一つは樋田君が映画パンフに書いてある。「あなたが武装に反対したから、早大闘争は敗北した。今からでも遅くないから謝ってくれ。」と言われた。自衛武装した側で、こう云う場面でも「あなた」と言う男は一人しかいないから誰だかは分かる。もう一つの紛糾は2Jの一人と、やはりこの男である。かなり2Jに怒っている。その理由も私は分かる。

 この書評を書いた近藤氏が「まだ続いている問題」とはそう云う事だ。しかし、「被害ー加害という図式では描ききれない背景に目を向けたい」と言うのもその通りなのだが、単にそれが続いているのではない。樋田君の本によって新たに問題が浮かび上がったのだ。浅薄な暴力反対史観であの事件を片付けられては川口君が浮かばれない。私は彼がよくぞ出版してくれたと、本当に感謝しているし何度もそれは書いた。だが、「X団顛末記」にも書いたし、これからはもっとはっきり中身に踏み込むが、彼が半世紀も経ってあそこまで浅薄なままの「寛容」だの「暴力ハンターイ」のままであるとは想像してなかった。人格を否定するのではない、思想の貧困と枯渇を残念に思う。

 追悼や鎮魂で過去へ歴史を単線的に追いやってはならない。今の狂気に満ちた世界を生きねばならぬ次の世代が待っている。彼らの為に真摯に祈らねばならない。祈るとは、先日も書いたが、未来を将来へと転換して、今を闘う事だ。今の闘い方次第では、それがいかに小さな一歩であっても正鵠を得た一歩であれば、複雑系の広がりの中でバタフライ効果がどこまで変革を呼ぶかも分からない。特に、これからの数年は世界がガラガラと崩壊し、経済はもとより文明や文化の基軸のパラダイムがどう転ぶか分からない。今の若者は我々年寄りとは比較にならない困難な時代を生きねばならない。私は彼らに「暴力ハンターイ」などと教えるつもりはない。