ynozaki2024の日記

私的回想:川口大三郎の死と早稲田解放闘争

木村夏子:ゲバルトの杜

「そういえば

蒲田行進曲』で

「民青か!革マルか!」「ブントか!中核か!社青同か!」ってセリフがあったのだけど

ちょっと意味が分かってなかったんだよね

それがどういう意味かやっと理解出来た

そしたら背筋がとても冷たくなったよね」

 

 早速見に行かれたそうだ。女優さんのようだが、この感想がとてもいい。当時の「一般学生」もまさにこんな雰囲気だった。

 政治というけれど、「無関心、ノンポリノンセクト、党派」の境界は曖昧だった。個人の内面においてもそれは季節のような単なる流動性に過ぎなかった。仮に文献などを学習して「党派」に近寄ったとしても、デモや集会の一つにでも出かけたとしても、それが生存の全てではなく、恋もあればアルバイトもある。稀に思念を巡らせてそれを教条的に受け入れる者もいただけだ。実際に我々の隊列の一般学生の中にも革マル派の集会などに参加していた者もいて、そのままだったら自分も革マル派のメンバーになっていたかも知れない、と述懐する者は複数いた。

 それが1971年前後を境にして身構えざるを得なくなったのは、残念ながら革マル派中核派の殺し合いが始まってからだ。革命的共産主義者同盟のその両者の間だけではない。川口君事件の一年前の1971年夏には早稲田本部キャンパスで、民青派と革マル派の双方が一個中隊(150人以上)の大部隊同士で、ヘルメットと角材・竹竿による武力衝突を起こしている。革マル派に武力をもって襲いかかり、自治会奪還を計ったのは共産党の方だ。民青に暴力反対などと言う資格はない。共産党党員学生をかき集めて武闘訓練までやったのは、樋田君自身がその本人に取材して書いて暴いている。

 少なくとも早稲田大学段階では革マル派の最大の脅威は中核派解放派ではなく共産党系民青派だった。だから、当時早稲田に居たつかこうへいも蒲田行進曲の中で「民青か!革マルか!」と云うセリフを役者に喋らせている。我々の新自治会は民青派と同等の扱いを受けて武力攻撃を受けた。それは革マル派が資料にはっきりと書いてある。実際に、樋田君の本を読めば誰でも分かるように、彼は民青派に接近していたし指導も受けていた。我々全体にとって危険な事だった。民青派が武力行使から一歩引いたのは、新左翼同士の衝突に誘い込みその消耗を待ったからだ。この意味で、こうした党利党略の一番の被害者は、体一杯の正義感で頑張った樋田君だったかも知れない。

 内ゲバの心理は鴻上尚史氏が南博を引用して社会心理学的に解説しているような「世間」や「集団我」とかのノンビリした話ではない。怯えと攻撃の応酬である。一度相手集団の一員を殺害すると、いつ自分らが殺られるか分からないと云う緊縛状態が続くのだろう。襲撃は相手側が24時間態勢でターゲットを追跡することから始まるのだ。どこで誰に監視され追跡されているか分からないという疑心暗鬼が、革マル派が一般学生を見る視線に重ねられる。全員がスパイに見えて来る。わずかな情報や言葉や所作や匂いに敏感になる。殺るか殺られるかに追い詰められた人間は、思想を蒸発させたただの動物に近い。そのような視線の中で川口君がたまたま槍玉に上げられたに過ぎない。

 私が殺されたのではないかと当初心配した学友もいた。私は革マル派の一文学生大会で壇上に上がって発言し、革マル派を弾劾した事がある。何で勝手に学費反対闘争をボス交渉で収束させたのかと。1972年5月だったと思う。仲間に呼びかけて学生を大量に動員し、大教室の後部座席の多くを占めた一般学生の大歓声で、前方に着席した数十名に過ぎない革マル派の怒号をかき消したことがある。それでも私は狙われなかった。本当にただの一般学生であることは、彼らが徹底的に調べても変わらなかったからであろう。

 映画に出てくる女性闘志の水津さんとは、お互いに良く知っていて、中庭で会うとにこやかな笑顔で迎えてくれ、談笑したものだ。こう書くと、その彼女に『ヘルメットをかぶった君に会いたい』とラブレターを送り続けている鴻上尚史氏がヤキモチを焼くかも知れないが、それは本当の事だ。川口君殺害に関与した彼女はどんな人生を送ったのであろうか。私はその後、正々堂々と革マル派と闘い、正々堂々と敗北したが、仮に田中委員長が存命であれば今でも語り合いたいと思うし、彼女がもし会ってくれるなら、いつでも会って話してみたいと思っている。田中委員長もそうだろうが、彼女だって心の中では川口君に謝っているはずだ。私は組織としての革マル派とは武力をもってまでして闘ったが、個人的には革マル派の誰にも怨念はない。人は自省することができる存在だ。ただ、今更表には出られない事情があるのは理解できる。でも、存命中にいろんな人々と和解しておいた方が良い。

 

 水谷保孝さんとの出会いもあった。4月10日のプレス試写会でお会いした。銀幕が終了すると同時に初老の男性が「虐殺者免罪の映画だ。許せない。」と大声で叫び退場された。私は彼が何者であるのかは知らなかったが、話してみたいと思いロビーで話しかけた。心にわだかまりのある年配の方は気になる。第一次早大闘争を担った中核派の幹部だと自己紹介された。何を話したのか覚えてないが、話していて気持ちが通じるものがあった。そしたら『情況』にこの映画の批評を書かれた。私は彼の最後の言葉に感銘を受けた。

 「学友たちが川口君の虐待死を風化させない、在りし日の川口君を忘却しない、と誓って半世紀を生きてきた姿に照らして、そうできなかった自らを深く恥じる。早大解放闘争を実現したあなたたちの川口君への追悼と復権の営みに心からの敬意を表する次第です。」

 それをブログに書いた。すると、Twitterから返事があった。

 「野崎泰志さん。ブログでの丁寧なコメントを有難うございます。短い会話でしたが、野崎さんが「あの後もずっとゲリラ戦をやったのですよ」とにこやかにおっしゃったことが印象的でした。独りよがりかもしれませんが、野崎さんたち当時の早大生との連帯感を感じたことが『情況』投稿に実ったのです。」

 映画評がそれぞれであるのはそれでいい。私にも私の言い分があってそれはあちこちに既に書いた。水谷さんは私との短い会話で「当時の早大生との連帯感を感じた」と言われ、それが上記の映画評の最後の言葉となったようだ。私は組織としての中核派解放派にも厳しい批判を記して来ているが、個人的にはどなたにも遺恨はない。水谷さんが私たちとの連帯感を覚えて下さった事に感謝している。機会があれば、またゆっくりとお話を伺いたいものである。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ameblo.jp