ynozaki2024の日記

私的回想:川口大三郎の死と早稲田解放闘争

川崎恭治君のこと、或いは雑誌『情況』への願い

 彼は、彼の書いたものが掲載された『情況』夏号を、私の元勤務先の大学にに送付したそうだ。もう何年も前に退職した。返答はなかった。

 そして各方面へ私の連絡先を求めてコンタクトし、ようやく、7.6『ゲバ杜』徹底批判集会の花咲さんから私へそのメールが転送されて来た。ご配慮、ご好意に感謝です。

 それで、めでたく連絡がつき、9月半ば頃に会うことになった。

 

 川崎君は、樋田君の本を読み、映画を見て、あの原稿を書き、私のブログを読み、いてもたってもいられなくなったらしい。だが、謎は、何のつながりがあって、あの原稿を書いたか、なのだが、簡単な事らしかった。川崎君は『情況』の広告担当で関わっている。何だ、そういう事か。編集長も人が悪い。やりとりがあって私のメルアドは知ってるくせに、分かっていたのなら、さっさと教えてくれれば済むではないか。私のツイートをリツイートまでしておって。まあ、良い。

 

 相変わらず熱い男である。労働組合運動の事も含めて、積もる話はたくさんある。

 

 重要な事は、水谷保孝さんも言って居られるように、敗北はしたが闘いは続いていた、と云うことにある。「また川口君事件を起こすつもりですか?」との友人の一言で、川崎君を囲んで恫喝していた革マル派の五、六人は引き上げた。この一言は重い。歴史に残る一言になるだろう。そのバックに私が、いや、あの早稲田解放闘争がおそらく控えて居たのだ。年に10数人も死亡していた内ゲバの最盛期に、この一言が、早稲田を拠点とするあの革マル派を退散させた。

 

 川口君は死してなお、そこに存在し続けている。これからも、早稲田解放闘争は終わっていない、と私たちは言い続けるであろう。権力や政治の腐敗を前にして、志ある者同士が、憎み合い、闘いあい、殺し合うようなことはやめよ、と。続く世代も、川口君の名前を掲げながら、この大きな寛容と調和を政治の世界にもたらす思想を、これからも築いていってもらいたいのだ。なぜなら、それを実現しようとした私達の、自治会再建闘争は、革マル派の理不尽な鉄パイプ襲撃の前に挫折したからだ。

 

 しかし、たかだか150人の革マル派のテロ部隊に、その時その場で粉砕されただけで、私たちの思いや思想は粉砕されていない。それを、高々と川口君の名前を残すことで、私たちは次世代に継承してもらいたいと思う。川崎君とその友人たちがその良い事例である。

 

 これが、私たちが抱えてしまった大きな「塊」の一つである。それを積極的に引き継ぎ、生かしていけるかどうか、それは次世代の人々次第である。少なくとも、雑誌『情況』と、7.6集会のレポーター・白坂リサにはそれは伝わったはずだ。抱えすぎて負担にならぬ程度に、しっかり継承してもらいたい。私は諸君らを、変な意味でなく、愛しておる。