追記
中川文人氏が追加でツイッター上に書かれていますので、転載します。
ここの部分のご発言は一つの意見として(異論はありますが)よく分かります。重要な事なので、私のブログを見ておられる方全てが目にするわけでもないでしょうから、公平を期す為に転載させていただきます。これほど整理された発言ではなかったのですが、要点をよくとらえ、明晰に表現されている中川氏の言語能力には脱帽いたします。
他の部分、突然、日韓問題ほかに脈絡もなく発展し他者をねじ伏せるような発言は「不快」でしたことは再度申し述べておきます。セクハラであれ何であれ、「不快」と感じる権利は私にもあります。私の場合、教員でしたからこういう言説展開は厳しく指導してきた習性もありますので。趣旨自体の当否はともあれ、あのような非論理的かつ攻撃的論理展開で外国の人に外国語で話せば、たちどころに「無能」と判定され相手にされません。私は異文化理解を何とかくぐり抜けて国際協力の現場にいた一人ですから、そういう独りよがりの自己主張は百害あって一利なしと肝に銘じています。言説でテロをおやりになるなら、それはそれで良いでしょうが。せっかくの機会に、日本の言説空間の貧困さに、余計な怒りを覚えたことは、中川さんにもご理解いただきたいところです。
3)Sの発言1:「この映画は革マル派にとって都合の悪いことを意図的にカットしているとしか思えない」と中川は言うが、代島監督は川口事件を革マル派のせいにしたくなかったのではないのか。というのは、同じことを世界中の左翼、共産主義者がやっているからだ。」
4)これはまさにその通り、その後、会場に来ていた法政の学友からあった「革マル派が早稲田でやってきたことは、法政で中核派がやってきたこと同じではないか。中核派が法政でやってきたことを水谷さんはどう総括しているのか」という質問にも繋がるもので、
5)法政で中核派の暴力支配を経験したものとしては見逃せないところである。水谷氏は盛んに「革マル派の特殊な思想」を問題にし、「すべてはそこに起因する」というが、この話には全く同意できなかった。
6)また、「大学の自治会費を資金源とする党のあり方、学生運動のあり方についてはどう思っているのか。党派間の戦争の原因は、これではないのか。思想で対立しているのではなく、金の取り合いをやっているだけではないのか」と私の発言もここから出て来たものである。
7)Sの発言2:「抵抗の暴力は肯定されるという話はよくわかりますけど、革マル派だって、自分たちの暴力は権力に対抗する革命的暴力と考えている。結局、この議論は、自分の行使する暴力はいい暴力、敵の暴力は悪い暴力、という話にしかならないのではないのか」
8)これもその通りで、最近、アナキストの間で、「暴力対反暴力」という問題の建て方が流行っているが、具体的な話になると、イデオロギーで暴力を選別するだけになる。 私は国際人道法のように、誰も暴力も等しく制限されるという立場が重要だと思っているので、佐藤の指摘は重要だと思った。
9)Sの発言3:「代島監督は川口事件に対する掘り下げが浅い、というが、後から来た世代からしてみれば川口事件は100件を越える内ゲバ事件の一つ。」 本当にこういう発言だったかどうか、記憶が怪しいが、これは同世代の人間として腑に落ちた。
10)私も樋田氏の『彼は早稲田で死んだ』と『ゲバルトの杜』を知る前は、川口事件は違う時代の、よその大学の話としか思ってなかった。その後の早稲田の解放闘争に関しても無数の闘争の一つとしか思ってなかった。 だから、佐藤の話を聞いて、当該世代は代島監督に期待しすぎなのかも、と思った。
11)Sは他にもいろいろ発言をしていたが、とりあえず、この3つに関しては、これまでの議論になかったもので、無視するわけにはいかないだろうと私は思います。